大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所堺支部 昭和63年(ワ)1076号 判決 1994年7月13日

原告

竹下興

右訴訟代理人弁護士

宇賀神直

西本徹

伊賀興一

野中厚治

長岡麻寿惠

山﨑国満

谷英樹

被告

甲野一郎

大阪府

右代表者大阪府知事

中川和雄

被告両名訴訟代理人弁護士

前田利明

被告大阪府指定代理人

毛利仁志

外八名

主文

一  被告大阪府は、原告に対し、金七〇万円及びこれに対する昭和六二年一〇月八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告大阪府に対するその余の請求及び原告の被告甲野一郎に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告に生じた費用及び被告大阪府に生じた費用の各二分一を被告大阪府の負担とし、原告及び被告大阪府に生じたその余の費用並びに被告甲野一郎に生じた費用を原告の負担とする。

四  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告らは、原告に対し、各自、一五〇万円及びこれに対する昭和六二年一〇月八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  事案の概要

本件は、道路交通法違反(共同危険行為等の禁止違反)被疑事実で逮捕され、取調べを受けていた原告が、取調べに当たった大阪府警察本部所属の警察官である被告甲野から暴行を受け負傷したとして、被告甲野に対し民法七〇九条に基づき、被告大阪府に対し国家賠償法一条に基づき、慰謝料等の損害賠償を求めた事実である。

一  争いのない事実

1  原告は、昭和六二年一〇月七日午前一〇時五分ころ、「原告は、暴走族グループ員多数と共謀のうえ、集団暴走することを企て、普通乗用自動車に同乗し、暴走族グループ員約五〇名と意を通じ合い、一団となって自動二輪車、普通乗用自動車合計約二五台を連ね暴走中、同年三月二一日午前一時一八分ころから同日午前一時二四分ころまでの約六分間、大阪府泉南市馬場九七五番地の一先交差点から同市幡代二九五番地先交差点までの約916.6メートルにわたって、時速約一〇キロメートルで蛇行、広がり走行をし、同方向に進行中の普通貨物自動車ほか二台の進路を著しく妨害する等共同して著しく他人に迷惑を及ぼす行為をした。」旨の道路交通法違反の被疑事実で、通常逮捕された。

2  原告は、逮捕された当日(以下の記述中、同日の出来事については日の記載を省略する。)午後四時三〇分ころ、大阪府阪南市尾崎町七〇番地所在の大阪府泉南警察署(以下「泉南警察署」という。)取調室において、大阪府警察本部所属の警察官である被告甲野及び訴外篠原繁巡査部長(以下「篠原巡査部長」という。)から取調べを受けていた際、右前額部に傷害を負った。

二  原告の主張

1  被告甲野の原告に対する暴行とこれによる受傷

原告は、午後二時すぎごろから、泉南警察署刑事課第三調室において、篠原巡査部長及び西田巡査部長の取調べを受け、途中で西田巡査部長と被告甲野とが交替した。

右取調べは、先ず原告の身上関係についてなされ、次いで原告が暴走行為に参加したかどうかの点に移り、原告の同乗した車両が国道二六号線の樫井会館前の交差点で和歌山方面にUターンしたか否かのやりとりになり、原告は、被告甲野の追及に対して、右Uターンの事実を否認する態度を取り続けた。

被告甲野は、原告が右事実を否認し続けることに怒りをあらわにし、原告に対し、「Uターンしたやろう。」と大声を上げ、「眼鏡をはずせ。立て。」と命じ、これに従ってその場に立った原告の腹部みぞおち付近をいきなり左手拳で四、五回続けて殴打した。

原告の身体は、右殴打を受けたはずみと少しでも殴打を避けようとする気持ちが作用して、右回りの状態に半回転し、原告は、その回転する状態において、原告の右側の取調室北側の壁で右前額部を強打し、一時的に意識喪失状態となり、その場に座り込むようにくずれ落ちた。被告甲野は、その後も、「汚いやっちゃ。」とののしりながら、原告の頭髪を掴む等の暴行を加えた。

原告は、右取調べの際に、腹部打撲傷、左右前額部の表皮剥離及び皮下出血を伴う挫創、右後頭部皮下血腫の各傷害を負った。右各傷害は、原告が一時意識を失ったこと等により受傷の原因行為を特定することができないものも存するが、被告らが主張するように原告の自傷行為によるものではなく、いずれも被告甲野の暴行によって生じたものである。

2  被告らの責任

(一) 被告大阪府

被告甲野の暴行は、公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うにつき故意になした違法なものであるから、被告大阪府は、国家賠償法一条に基づき原告の被った後記損害を賠償する義務がある。

(二) 被告甲野

国家賠償法一条の違法行為があった場合、公務員個人の賠償責任の有無については議論の存するところではあるが、被告甲野の本件不法行為は故意によるものであるから、その犯罪性に鑑みて、同被告は民法七〇九条に基づき原告の被った後記損害を賠償する義務を負うというべきである。

3  損害

(一) 慰謝料 一〇〇万円

原告は、逮捕されて取調べを受けている際に警察官である被告甲野の暴行により負傷し、意識が朦朧とする中で取調べを継続され、十分な治療も受けさせてもらえなかった。

これらによって原告が被った精神的苦痛を慰謝する金額としては、一〇〇万円が相当である。

(二) 弁護士費用 五〇万円

原告は、被告甲野の不法行為責任、被告大阪府の国家賠償責任を追及するため、本訴の提起、追行を原告ら訴訟代理人に委任せざるを得なかった。

これに要する弁護士費用としては、五〇万円が相当である。

三  被告らの主張

1  原告の自傷行為

原告は、逮捕された後、一旦泉南警察署の留置場に収容され、昼食を摂り、指紋採取等がなされた後、同署刑事課第二調室において、被告甲野及び篠原巡査部長の取調べを受けた。

右取調べは原告の身上関係から始まり、身上関係についての取調べは午後四時一〇分ころ終了した。

次いで、被告甲野らは、暴走行為についての取調べを始め、被告甲野において、原告の病気の母親が心配していることに言及したり、原告らが、自動二輪車で暴走し原告らの氏名を警察官に申告した年少者約六名を大阪府阪南市尾崎町所在の男里川川尻の海辺に呼び出し、右年少者らを海中に放り込んだ事実等につき追及したところ、原告は、午後四時三〇分ころ、突然、興奮して椅子から立ち上がり、「おれ、知らんわい。」と叫び、原告から見て右側(北側)の壁に自己の前額部辺りを二度打ちつけた。

被告甲野が立ち上がって原告の自傷行為を阻止しようとしたが、原告は、なおも「死んだら、ええんやろ。死んだるがな。」と叫び、右回りをして、後ろ(東側)の壁に自己の前額部辺りを打ちつけた。原告がさらに同じ場所に前額部辺りを打ちつけようしたので、被告甲野は、咄嗟に自己の右手を広げ、壁と原告の前額部との間に右手を差し入れた。そのため、被告甲野は、右拇指及び右示指を捻挫し、右拇指を骨折した。

2  原告の自傷行為後の取調べ状況

被告甲野は、原告をなだめて椅子に座らせ、原告の右前額部が少し赤くなっていたので、「治療するか。」と尋ねたところ、原告は、「大丈夫です。」と答え、被告甲野の指を見て、「すみません。」、「詳細は明日話す。」などと述べた。当日の取調べが終了したのは、午後五時ころであった。

3  原告の負傷の程度

その翌日である昭和六二年一〇月八日、原告と接見した弁護士からの申出もあったことから、原告に医師古家定継(以下「古家医師」という。)の診断を受けさせた。古家医師の診断は「急性胃腸炎。前額部の傷は、軽度の擦過傷で、特に治療する必要はない。」というものであり、原告の前額部の負傷は極めて軽微なものであって、原告の傷は右のほかにはなかった。

四  争点

1  右前額部以外の負傷の有無、右前額部を含む原告の負傷の内容

2  原告の負傷は、被告甲野の暴行によるものか、或いは、原告の自傷行為によるものか。

3  被告甲野が個人として不法行為責任を負うか。

4  損害額

第三  争点に対する判断

一  争点1について

1  証拠(甲一、乙一の一・二、証人古家の供述)によれば、次の事実が認められる。

(一) 泉南警察署の嘱託医である古家医師は、昭和六二年一〇月八日、同警察署の係官からの依頼を受けて、原告を診察した。その結果は、次の通りである。

右前額部に擦り傷のような小挫創(指頭大以下のもの)があったが、創は既に乾燥しており、治療の必要を認めなかった。右挫創のほかには創は認められず、頭部には異常がなかった。左腸骨窩に圧痛を認め、急性胃腸炎と診断した。

(二) 大阪地方裁判所堺支部裁判官は、その翌日である同月九日午後四時三〇分から、同支部庁舎内において、原告の身体を検証した。その際、原告は、同裁判官に対し、「同月七日午後四時三〇分ころ、泉南警察署取調室において、被告甲野から手拳で腹部(へその少し上で、みぞおちの少し下辺り)を四、五回殴られ、その反動でコンクリート壁に頭が当たって負傷した。現在も痛みを感じる部位は、左右前額部、右後頭部及び腹部である。」と指示説明した。右検証の結果は、つぎの通りであった。

①腹部の痛みを訴えたのは、腹部ほゞ中央の直径約一〇センチメートルの円状の部分である。右部分の皮膚の表面に変化は認められなかった。②右前額部(髪の生え際隅)に、横約1.4センチメートル、縦約二センチメートル、中央部の横の長さ約1.4センチメートルの菱形に近い形の傷が認められ、その横に約一センチメートルの幅で腫れが認められた。③左前額部(髪の生え際隅)において、長さ約三センチメートルくらいの皮膚が剥離して赤くなっており、五百円硬貨よりやや大きい程度のこぶが認められた。④右後頭部について、耳の下の付け根から左へ約五センチメートルの箇所を中心にして、裁判官が指で上から下に触っていくと皮膚面の段差が感じられ、左後頭部の右部位に対応する箇所については、右と同様に指で上から下に触っても、皮膚面の段差は感じられなかった。

2  右1(二)②の菱形状の傷及び同③の皮膚の剥離は、いずれも表皮剥離と認められる(なお、②の傷を挫創と認めることはできない。)(鑑定の結果)。

医学的には、明らかな腫れがあれば、表皮剥脱に皮下出血を伴っているものと認められ、また、皮膚面に段差があるということをそのまま受け止めれば、皮下血腫の存在が考えられ、素人でも腫れがあるかないかは分かる(鑑定の結果、証人勾坂の供述)。

3  以上の事実からすれば、①原告が腹部の痛みを訴えていた事実は認められるものの、腹部打撲傷の存在については、これを認めるに十分とはいえず、②左右前額部に皮下出血を伴う表皮剥脱が、③右後頭部に皮下血腫がそれぞれ存在したものと認めることができる。

4  右認定に反する証拠について検討を加える。

(一) 古家医師の診断によると、前額部の傷のほかには頭部の異常はなかったというのであるが、同医師は、泉南警察署の係官から腹痛を訴えている留置人がいるから診察してほしいとの依頼を受けて原告を診察したもので、右前額部の傷にはたまたま気付いたにすぎず、原告の前額部や頭部には触っておらず、診察時間もごく短時間であった(同医師によると「五分以内に終わったん違いますか。」ということである。)ことが認められる(証人古家の供述)から、同医師の診断結果は前記認定を左右するに足りない。

(二) 勾坂教授(鑑定の結果及び証人勾坂の供述)は、左右前額部の負傷につき、表皮剥脱であることは認めているものの、皮下出血の存在を否定し、右後頭部の皮下血腫の存在につき疑問を呈している。

勾坂教授が左右前額部の負傷につき皮下出血の存在を否定している根拠は、証人古家の供述に腫れはなかったという部分があり、腫れるほどの皮下出血が受傷後一両日のうちに消失することは考えられないという点にある。

しかし、前記のとおり、古家医師は、原告の右前額部の傷にたまたま気付いたにすぎず、原告の前額部及び頭部を子細に診察したことは到底認められないから、古家医師の観察の正確性には疑問があり、一方、前記の検証を実施した裁判官は、古家医師が診察した翌日、原告の右前額部に腫れが、左前額部にこぶが、それぞれ存在することを認識しているのであるから、古家医師の右供述部分を前提とする勾坂教授の右見解は採用できない。

また、勾坂教授が右後頭部の皮下血腫の存在につき疑問を呈する根拠は、古家医師の触診の際に圧痛を訴えるはずであるのに、同医師作成のカルテにその旨の記載がないこと、成傷器を想定できないこと、及び、当該部位は外後頭結節部と右乳様突起の中間に相当し、ここを触れば誰についても隆起を感じるから、これを皮下血腫と誤認したのではないかという点にある。

しかし、古家医師が原告の頭部について触診をしていないことは前記のとおりであるし、証人勾坂の供述中にも、後頭部の右側の皮膚面に段差がありそれに対応する左側部分に段差がないということは普通なく、その場合には右側に外傷があると考えなければならない旨の供述部分があり、前記の検証を実施した裁判官は、痛みを感じる旨の原告の指示に基づいて、左右を比較して調べたうえ、右後頭部についてのみ皮膚面に段差が存在すると認めたものであって、これを採用できないとする根拠はなく、勾坂教授の右見解は成傷器が想定できなかったことに引きずられて右の結論を導いた疑いがあるものとみるべく、これを採用することはできない。

二 争点2について

1 証拠(甲一、甲二二ないし二四、甲三四、乙八の二・四、乙一〇の一、乙一五、検証の結果((昭和六三年三月四日実施))、証人山﨑、同篠原((一部))原告((第一ないし第三回))及び被告甲野((一部))の各供述、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告に対する午後の取調べは、泉南警察署二階刑事課第三調室において、午後一時すぎころ始まり、途中で写真撮影と指紋採取などのため中断し、午後二時ころから本格的に行われた。主として篠原巡査部長が原告の身上関係等について取り調べ、身上関係等についての取調べは午後四時すぎころまで行われた。篠原巡査部長の取調べの際、原告の態度に特に異常な点はなかった。

(二)  その後、篠原巡査部長及び被告甲野が道路交通法違反の被疑事実について原告を取り調べた(第三調室における右三者の位置関係は、別紙図面のとおりであった。)。その取調べは、原告が、逮捕された直後の弁解録取において、被疑事実とされていた暴走行為(国道二六号線の樫井会館前の交差点を和歌山方面にUターンした後の出来事)に参加したことを否認していたことから、原告の同乗した車両が右交差点を和歌山方面にUターンしたか否かが焦点となった。原告は、右Uターンの事実を否認し、自己の同乗した車両は交差点を大阪方面へ直進したと供述した。

原告の右否認は嘘であると確信していた被告甲野は、「暴走仲間の証言もあるから、お前もUターンして迷惑行為に参加したに違いない。」、「母さんも病気がちだから親にあんまり心配をかけるな。」、「年下の者を海(大阪府阪南市尾崎町所在の男里川の川尻)に呼びつけて殴ったりなどして海に放り込んだことがあるやろ。」などと諭し或いは激しく追及したが、原告は右Uターンの事実を頑として否認する態度を取り続けた。

(三)  被告甲野は、否認し続ける原告に業を煮やし、午後四時三〇分ころ、原告に対し「眼鏡をはずせ。立て」と命じ、眼鏡をはずしてその場に立ち上がった原告のみぞおちの下付近をいきなり左手拳で突き上げるように四、五回続けて殴打した(被告甲野は立った状態で殴打した。)。

原告は、被告甲野から殴打されたはずみで、右回りの状態で北側のコンクリート壁に右前額部を打ちつけ、その結果、一時的に意識が朦朧となり、座り込むように床にくずれ落ちた。被告甲野は、床に座り込んだ原告の前髪を掴んで「お前、汚いやっちゃな。」と言い、原告をもと座っていた丸椅子に座らせた。

2 右認定によると、原告は、被告甲野から腹部を殴打されたことによって、そのはずみで身体が右に回転して、右側にあったコンクリート壁で頭部を打ち、右前額部に皮下出血を伴う表皮剥脱の傷害を受けたものというべきである。

なお、甲第一号証、鑑定の結果及び証人勾坂の供述によれば、原告の右前額部の傷は、左上から右下に長い楕円形で、色調は右縁で濃くかつ境界鮮明であるが、左縁は色調が薄くかつ境界不明確であって、この傷が生じるについて作用した力は、右側において強く、左側は弱かったと認められること、右事実から、原告の右前額部が壁面に対し右から左に切線的に作用して右前額部の傷が生じたと考えるのが相当であることが認められ、このことは、原告の右前額部の傷が前記認定のような経緯で発生したことを裏付けるものとみるべきである。

原告の左前額部の皮下出血を伴う表皮剥脱及び右後頭部の皮下血腫についても、後記のとおり、原告が自傷行為に及んだ事実を認めることはできないから、被告甲野らから取調べを受けた際に生じた疑いが存する。しかし、右各傷害が生じた具体的態様を証拠上認定することができないから、被告甲野の前記暴行との間の因果関係を認めることは困難である。

3 証拠(乙八の二・四)によると、事件の翌日原告と接見した弁護士山﨑国満において、原告が、被告甲野から、前額部を二回殴打され、同所に傷害を受け、また、腹部も四回殴打されて、その際に後ろの壁で頭部を打った旨供述したとの書面を作成したことが認められる。

原告において同弁護士に対して右のとおり供述したのか、逮捕中の接見という状況下における聴取であったために、同弁護士が原告の供述を誤解したのかは明らかではないが、いずれにせよ、原告が逮捕された日に暴行を受けて受傷したという異常事態のために、原告或いは同弁護士が精神的に混乱していて、右のような一部事実と異なった内容の書面が作成されるに至ったとみるべきであって(証人山﨑の供述)、前記認定を左右するに足りるものではない。

4 被告らは、前記(第二の三の1)のとおり、「原告を取り調べたのは泉南警察署刑事課第二調室であって、被告甲野において、暴走行為の取調べの過程で、原告の病気の母親が心配していることに言及したり、男里川の件を追及したところ、午後四時三〇分ころ、原告が、突然興奮して立ち上がり『俺、知らんわい。』と叫び、北側の壁にその前額部辺りを二度打ちつけた。被告甲野が立ち上がって原告の自傷行為を阻止しようとしたが、原告は、なおも『死んだら、ええんやろ。死んだるがな。』と叫び、右回りをして、東側の壁に前額部辺りを打ちつけた。原告がさらに同じ場所に前額部辺りを打ちつけようとしたので、被告甲野は、咄嗟に右手を広げ、壁と原告の前額部との間に右手を差し入れた。そのため、被告甲野は右拇指及び右示指を捻挫し、右拇指を骨折した。」と主張し〓証人篠原及び被告甲野も、それに沿う供述をしている。そこで、以下、右各供述の信用性について検討する。

(一)  取調べが行われた調室について

原告は、午後の取調べは部屋の隅に出っ張りがあり長テーブルが置かれていた調室で行われたと供述しており(第一回)、右供述は信用できると認められるところ、第三調室には北東の隅に出っ張りがあるが、第二調室にはそれがなく(昭和六三年三月四日実施の検証の結果)、第二調室には当時長テーブルは置かれていなかったこと(甲一、右検証の際の被告側の指示説明)などからすれば、午後の取調べは第三調室で行われたと認められる。

(二)  自傷行為の動機について

前記認定のとおり、篠原巡査部長が原告の身上関係を取り調べていた段階では、原告の態度に異常な点はなかったのであるから、被告甲野らが暴走行為についての取調べを始めた午後四時すぎころから原告が負傷に至った午後四時三〇分までの約三〇分弱の間に、原告において「俺、知らんわい。」「死んだら、ええんやろ。死んだるがな。」などと言って自ら壁に頭を打ちつけるほど興奮した事情があったかどうか、が問題となる。

この点について、被告甲野は、原告の病気の母親が心配していることに言及したり、男里川の件を追及し、夜の海に年少者を投げ込んで打ち所が悪くて死んだりしたらどうするのだと叱りつけたところ、原告が突然興奮したと供述する。

しかし、原告において、被告甲野から母親のことに言及されたことによって右言辞を吐き、興奮して自傷行為に及んだというのは、明らかに不自然であり(被告甲野から母のことを言われて胸がジーンとしたとの原告の供述((第三回))が信用できるとみるべきである。)、男里川の件の追及についてみても、原告はその事実を素直に認めていたのであるし(証人篠原の供述)、男里川の河口付近は、水深約一〇センチメートル程度で、原告らが年少者を突き落としたとされる堤防の高さは約六〇センチメートルであったことが認められるから(検甲一ないし六)、原告らの行為によって被害者が水に溺れたり怪我をする場所ではなく、原告自身も以前に同じ行為をされた経験をもっていた(原告の第二回供述)ことに照らすと、原告が男里川の件を追及されて「死んだら、ええんやろ。死んだるがな。」と叫ぶほど興奮したと考えることも困難である。

被告甲野の取調べに同席していた篠原巡査部長は、被告甲野と同様原告が興奮したと供述してはいるものの、その理由について、「被疑事実を追及されて逮捕されたことに動揺したことと思います。」、或いは、「免許取消しとか、会社就職のことなどが心配になったと思います。」と供述しており、被告甲野の供述と食い違っている。

また、被告らにおいて主張するように興奮して自傷行為にまで及んだ原告が、比較的短時間で冷静になったというのも、いささか不自然である。

(三)  原告の負傷について

前記認定のとおり、左右前額部の傷は、前額部の中央ではなく、前額部の左右のしかも髪の生え際に位置する。

鑑定の結果及び証人勾坂の供述によれば、直立している人が壁に向かって衝突した場合、壁に当たる部位は両眼瞼上縁、鼻尖部、頬骨体部であり、左右前額部に傷ができるとは考えられず、右の位置に傷ができるには、やゝ前屈した姿勢をとったうえ頭部を左右に斜めにした状態で壁に打ちつける必要があることが認められる。

証人篠原及び被告甲野の各供述によると、原告は合計四回にわたって東側或いは北側の壁に額を打ちつけたというのであり、また、証人篠原或いは被告甲野の各供述中には、被告甲野が原告の腰に手をかけて壁から離そうとした際に、原告が右に回るようにして前額部を壁に打ちつけた旨の供述部分があるほかは、原告がことさら前屈した姿勢をとった旨の供述部分はない。

原告が直立した状態であったとすれば、傷の位置が高すぎる。また、「俺、知らんわい。」、「死んだら、ええんやろ。死んだるがな。」と叫ぶほど興奮した人間が、わざわざ前屈みの姿勢をとって前額部中央ではなく左右の髪の生え際を打ちつけたというのは不自然であって、被告甲野が原告の腰に手をかけて原告の姿勢が低くなった際に一回前額部を壁に打ちつけた可能性があるとしても、前額部の傷が二つとも前記の部位に存在し、かつ、両眼瞼上縁、鼻尖部、頬骨体部を打った事跡がないことの説明は困難である。

(四)  被告甲野の負傷について

被告甲野は、原告が東側の壁に二回目に前額部を打ちつけようとした際、これを防止すべく、自己の右手掌を広げ甲の部分が壁に掌の部分が原告の頭に当たる壁と原告の前額部との間に差し入れたと供述し、証拠(乙六、乙七の一、証人玉井の供述)によれば、被告甲野が右拇指・右示指捻挫、右拇指D・I・P部剥離骨折の傷害を受けたことが認められる。

しかし、鑑定の結果及び証人勾坂の供述によれば、剥離骨折とは、関節が過屈曲を突然強いられて、関節伸側の骨の一部がこれに付着している靱帯などに牽引されて骨折、剥離することをいい、被告甲野が供述するような手掌を広げ原告の前額部と壁の間に差し入れたとする状況では、剥離骨折は生じ難いことが認められるから、被告甲野の受けた傷害についての供述の信用性には疑問がある。

右の各検討を総合すると、証人篠原及び被告甲野の各供述のうち原告の自傷行為に関する部分を採用することは到底できず、右各供述部分は、被告甲野による原告に対する暴行を隠蔽するために、原告の自傷行為という虚構の事実を供述したものといわざるを得ない。

なお、事件後原告を取り調べた警察官である証人古賀の供述中には、被告甲野から取り調べを受けている際にかっとなって自ら壁に頭部を打ちつけた旨原告から聞いたとの供述部分があり、また、原告の右古賀に対する供述調書(甲三、乙一〇の三・四・七)中にも、同旨の供述記載部分があるが、前記の検討の結果に照らして、これらの信用性には疑問があり、採用することはできない。

5 以上により、原告は被告甲野から暴行を加えられて傷害を受けたものであって、被告甲野の右行為は、公権力の行使に当たる公務員の職務執行中の故意による違法行為であるから、被告大阪府は、国家賠償法一条一項に基づき、原告の被った後記損害を賠償すべき義務があるといわなければならない。

三  争点3について

国家賠償法一条一項において、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が職務を行うについて違法に他人に損害を加えた場合に、国又は公共団体の賠償責任を定めた趣旨は、右違法行為が故意によるものであっても、国又は公共団体が被害者に対する賠償の責に任じ、公務員個人は賠償責任を負わないとしたものと解するのが相当である(最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七頁等参照)。

したがって、本件においては、公共団体である被告大阪府が原告に対して賠償の責に任ずるのであって、被告甲野個人は賠償の責を負わない。

四  争点4について

(一)  慰謝料 五〇万円

被告甲野が原告に暴行を加えた経緯・態様、原告が受けた傷害の部位・程度等本件に現れた一切の事情、特に、本件暴行は、未成年者(昭和四三年一一月二五日生、当時一八歳)であった原告に対し、警察署の取調室内という密室において、警察官から一方的に加えられた故意によるものであって、職務執行の適法性を著しく逸脱するものであったことを考慮すると、原告が被った精神的苦痛は大きいものがあったというべきであり、これを慰謝する金額としては、五〇万円をもって相当と認める。

(二)  弁護士費用 二〇万円

原告が、本訴の提起、追行を原告訴訟代理人らに委任したことは本件記録により明らかであり、本件事案の内容、被告らの応訴の程度・態様、立証の困難性、請求認容額等を考慮すると、被告甲野の違法行為と相当因果関係のある損害として、原告が被告大阪府に請求できる弁護士費用の額は二〇万円をもって相当と認める。

第四  結論

以上の次第であるから、原告の本訴請求は、被告大阪府に対し、右損害金合計七〇万円及びこれに対する被告甲野の違法行為が行われた日の翌日である昭和六二年一〇月八日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判長裁判官妹尾圭策 裁判官園原敏彦 裁判官新井慶有は、転補のため署名、捺印することができない。裁判長裁判官妹尾圭策)

別図<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例